コルトーの感性の素晴しさ、音楽性の高さは、曲の内容についての文学的表現、詩的描写の見事さによってもうかがい知ることができますが、その技術を獲得するために追求された方法は、明らかに誤まっている、といわなければなりません。
彼はある難しいパッセージを克服するために、『難しいパッセージそれ自体を練習するのではなく、そのパッセージに含まれている難しさの根元的なものにまで立ちもどって練習するのである』ことを、そのすべての版に書いています。ピアニストとして楽壇にデビューしたが、ワーグナーの作品に傾倒し、先輩であったエドゥアール・リスレール(1873-1929)に従ってバイロイトに赴き、1896年から1897年までバイロイト音楽祭の助手を務めました。
そしてその彩しい練習課題は、技術を求め、技術との格闘をしているに過ぎず、必要のないむずかしさであり、ピアノを弾くことの根本である、頭による指先の支配がなされていないことを示しています。
この危険度は、音楽性と技術とのギャップの烈しい人ほど高く、そのようにならないためには、指導者がメカニックの本質を知っていて、子供の時にピアノを弾くことの正しい基礎。
つまり、音と頭と指とが統一体としてはたらくことの基礎を身につけてあげなくてはならないのです。

